ここ数日のうちに色んな非日常が日常になりすぎて、
なんだか恐怖心もなくなってきた気がする。
多少の揺れにもなんだか慣れてしまった。
震災のあと、東京でしばらく過ごしていたのだけど、
父の電話で、今からすぐに広島に帰ろうと思い立ち、
電話がきた一時間後にはもう準備をして家を出ていた。我ながら異様な準備のはやさ。。
部屋を見渡すと、こういう時に絶対必要なものとかそう思い当たらなくて、
もともとつめてた非常用グッズと、技術書と、数冊の本を詰めて家を出た。
広島にはもう少し後から行くつもりだったけど、そうだよなあもうここにいる理由もそんなにないんだ、と思い返す。
切実に差し迫った状況ではないように感じたが、学生最後の休みを薄暗い部屋で怯えながら流れるように過ごすのはうんざりだった。
必要最小限の生活をして、外に出ず、とにかく節電して、薄暗い部屋で一日中ひとりで神経質に地震や原発の情報をチェックし続ける。揺れが来れば、その都度荷物をつめて身構える。
そんな生活を繰り返していると、ふと「あれ、私なんで生きてるんだろう」という疑問がわいてきて、これはちょっとやばいなと思って実家へ。
自分がいったい何をしたいのかよくわかならかった。長いトンネルの中にいるみたいで。
ただ静まり返った街と、平穏だがやはり不安を抱えている人々がいるだけだった。
幸い、そんなに地獄絵図とか、トラウマになりそうな風景を見る事はなかった。人通りがまばらだったり一部の食料品が品切れになっている以外は、穏やかなものだった。
でも、これ以上、人や自分のこわさとかをあんまり目にしたくないよなあと、東京を抜け出した。
ここにいてもできることが本当に見当たらなくって、自分の身を守ること、親の心配をなくすことぐらいしかできることがないと気がついた。
あんまり非常事態っていう実感がなかったんだけど、
でも東京を抜けてみると、東京にいる人たちの事がすごく心配になってくる。
大丈夫だろうか。
大好きな人たちがいっぱいいる場所。。
別に対した事ないよって中にいる人は思っても、外の人たちからみるとすごい危うい状況にみえるんだろうな。
その場にいる時は、自分を鎮めるためにたいして危なくないって思ってただけだったのかもしれない。。
家にこもってる間、よくもまあと自分でびっくりするぐらい、
ものすごい寝て、ものすごい食べてた。
なんであんなにお腹がすいたり、眠かったのか自分でも謎だ、昼でもすごく寝た。まあ夜によく寝れなかったからかもしれないけれど。
日のあるうちに近所のスーパーで食べ物を最小限買い出して、なるべく家で過ごす日々だった。遠出をする気にはなれなかった。
買い出しの際に見る不安そうな人たち、大量の食べ物を買い込んでいるひとたちを見て、漠然と暗い気持ちになった。
道行くひとの顔はわりと普通だった気がする。眉間にしわを寄せたり泣いてるひともそんなにいなかった。
ただ、みんな、表情がなかった。
不安や恐怖にフタをして、必死に普通を装っていたのかもしれない。
広島に帰ってきて、街があまりにも普通で平和で、
拍子抜けした。そして、自分がそれになぜだか苛立ってしまったのも不思議だった。「不謹慎」の統制力に影響受けてるんだろう。
ファッションビルの中、きれいに着飾った女の子たちが心から楽しそうに笑っているのを見て、
しばらく私は不安じゃない人の顔を見てなかったんだなあと気がついた。
楽しそうな街のなかで、自分が幽霊みたいに感じられた。
久しぶりに、ちゃんときれいにお化粧して明るい色の服が着たいと思った。
女の子がきれいで無防備な服装をしてるのって、平和のバロメーターなんだなあと。高いヒールをはいてる女の子の多さに、なんだかびっくりした。
実家に帰ってから、もう3日目らしい。早い。。実質二日目だけど。
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