2011年9月11日日曜日

ノイズ文化論

大学2年ぐらいの日記を漁ってたら、表象文化論にイヒイヒ興奮しててわろた。
この頃はフィールドワークしながら色んな事を考えるのが本当に楽しくて
学生生活のなかで一番勉強してた気がする。

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宮沢章夫さんのノイズ文化論、ギードゥボールのスペクタクルの社会、ネオリベ関連、現代美術、小説などなど乱読してます。すごく面白い。
都市空間論の副題はノイズ文化論。なんでノイズなんかに焦点を当てるんだ?と疑問に思ってたんだけど、「ノイズ」をキーワードに分野を超えて調べていく と現代社会の色んな問題点が浮き彫りになってきた。リアリティのなさ、過剰な清潔願望、予測不可能なものへの恐怖とオペレーションの願望、監視社会、実態 よりも表象へ向かう嗜好、エトセトラ。
実は現代を象徴する、また打開策となりうるものが「ノイズ」なのかもしれない。ノイズを念頭に置いて色んな本を読むと、並列に並べられていた情報が、立体感を持って浮き出てくる。学問書でも小説でも美術でも、全てが。楽しいよなんだこれ。宮沢先生すげー。
ほんっと今は色んな事を調べて考えて繋げていくのが楽しいです。今までで一番充実した学術ライフを送っている気がする。無節操に無尽蔵にやってるのでうまくまとまるか不安なんすが。
この授業とって本当に良かったです。自分の中で断絶されてたり、縦割りになってたりしたものが有機的に関係を持ち始めてきた気がする。美術やデザインと学 問は結びつきうる、というよりもむしろ密接に関係をもつべきものだったんですね。美術や、社会に見られる表象を検証する。リアルな実感を持ちながら学ぶ。 表象文化論は本当に私に適した分野だと思う。まだまだ未開拓なのも面白い。もっと知りたいし自分でも考えていきたい。



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最近は日々HTMLと格闘し、CSSのパズル解いている日々ですが
こういう知的興奮みたいなものを日々持ち続けていたいなーと改めて思った。
自分の行く末がわからなかったから、必死に色んなものを探して、世界の謎解きをしていたんだと思う。
最近は安定してるぶん、あまり外に目を向けなくなってしまった。

結局これからどうなるかは今でもわからないのだから
色んなものを探さなくては。
目を閉じてはいけないのだった。


以下、メディア芸術プラザから引用

大学の授業やワークショップで受講者に課題として地図を描いてもらう。たとえば、「新宿」というテーマを与え、資料を使わず、記憶している「新宿」という言葉のイメージだけで地図を描く。
資料を使わずに地図を描くとき、手がかりは自身の記憶とイメージだけだ。そこに描き手が反映する。同時に、彼/彼女らにとっての町のありようが浮か んでくる。たとえば、ある学生の地図は、伊勢丹デパートより、圧倒的にTSUTAYAが大きかった。そんなことは実際にはありえないが、彼の生活にとって は、デパートよりレンタルビデオショップのほうが大きな意味を持っていたのにちがいない。そして、私がもっとも興味を持ったのは、多くの受講者が新宿の地 図を、「南口」を中心に描いたことだった。
単純な感傷ではけっしてなく、町が変容してゆく姿を見ながらどこか違和感を持たざるをえない。かつて私にとっての「新宿」は圧倒的に「東口」 だった。紀伊國屋書店があり、雑多な繁華街が広がり、すこし路地を歩けばどこか怪しい店があって、そこに新宿の魅力を感じていたのだ。そこから文化も出現 する。きわめてノイズに充ちたその町のなかから、軋(きし)んだ音とともに、演劇や音楽、映画や美術、そして文学も生まれてきた。たとえば、1969年に 公開された 大島渚の『新宿泥棒日記』は、横尾忠則が紀伊國屋書店で万引きをするシーンから映画がはじまる。その時代の新宿を私は知らないが、新宿だからこそ生まれた 映画であり、その背景に町が生み出す文化がかつてあったと私には感じられた。
かつての「新宿南口」は、「東口」よりさびれ、むしろべつの意味でのノイズがあったが、いまは整備され、すっかりきれいな地域となっている。人の流 れも「東口」から「南口」へと少しずつ変わっているから、学生やワークショップ受講者たちの描いた地図にもその変化が現れたのだろう。安全で美しい町は人 にとって快適な空間だ。
『ニュータウン入り口』舞台写真
撮影:有賀傑
昨年、『ニュータウン入口』という舞台を作り、取材のために何度もニュータウンに足を運んだが、その美しさを私はけっして否定するわけではない。新 宿が安全になり、人にとって歩きやすい町になったのもべつに否定はしないが、それとともに失うものはある。ノイズが生み出すのは、誰だって持っている昏 (くら)い側面を肯定する、受け皿としての文化だ。やむにやまれず吐き出されるノイズが、言葉になり、音楽になり、絵画となって出現する。美しいことはい いことだ。けれど、美しい町でもゴミはどこかに回収されている。それを見えないように隠すから清潔さは保たれるが、見ないでいるだけの美しさが、ほんとう の意味での美しさだとは思えない。
新宿の「南口」から新しい文化は生まれるだろうか。整備された土地から軋んだ音は聞こえてくるだろうか。その音を聞きたい。

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