2011年2月8日火曜日

お祭

メディア芸術祭の期間は、なぜかよくわからないけど妙な昂揚感に包まれた日々を過ごせます。
六本木に行く度に何かしらの出会いがあったり友達に会えたりで楽しい。

Ust放映してるけど、現地のグルーブ感を感じ取りたいのでなるべくシンポジウムやトークショー生で観に行ってます。
この風景が、カメラアイを通して無数に拡散しているのかと思うとなんだか面白い。昨日の「現在美術としてのDOMMUNE」最前列でうっかり観れたけど、宇川さんや都築さんの発するエナジー生で受け取れたのはやっぱり力になった気がする。宇川さんのつぶらな瞳やられるわ。なんかチャウチャウみたいな宇川さん。

DOMMUNEは、かつてのテレビや雑誌へのレクイエムだという話が印象的だった。
やっているコンテンツ自体は鋭い編集者ならいくらでも思いつきそうな内容だけど、
それを出版やテレビなどのメディアがやらなくなってきた。テレビが観られなくなったり出版不況になったりしたのはネットのせいだってよく言われるけど、それだけじゃない。その真っ当な事をやらなくなったから、かわりに今宇川さんがそれをやっているんだそうだ。
動物の絶滅危惧種は必死で保護されるのに、文化の絶滅危惧種はなぜだか保護されない。勝手に廃れていってしまう。
都築さんが、どんどん捨てられていくカラオケのレーザーディスクを 必死にヤフオクで買い集めているのは、誰もやらないから仕方なしにやっているだけらしい。
宇川さんも同様で、テレビの黄金時代を知らない若い時代に、かつてのテレビが運んでいたものを伝えている。DOMMUNEは民放テレビへのオマージュであり、反抗でもある。だから子供番組(イルリメが子供にラップを教える)があったり料理番組(ドッグフードをつくる)があったり。

あと、ヨーロッパのアートフェスはSonarやTransmedialeのようにクラブカルチャーとホワイトキューブが並列に並べられているけれど、
日本の場合だと、クラブカルチャーを国が弾圧している。ガキの頃にクラブで遊んでた人がキュレーターになっていない。DOMMUNEは今回文化庁という国家権力が主催する芸術祭で賞をとったわけだが、一方でクラブカルチャー自体は取り締まられている。そういった意味で、宇川さんやDOMMUNEはかなり不安定な地盤のもとでやっている。余計な闘いを強いられている。
この状況は、これからの若い人たちが変えていってほしい、とお話されていた。


去年はBraun Tube Jazz Bandを熱狂的に追いかけていて、
でも今年のメ芸にはいないんだよなあとしょんぼりしていたら、
メディア芸術祭とベルリンのTransmedialeというアートフェスとの中継で、なんと和田さんが出てきて現地でのパフォーマンスが思わず観られてしまった。
「いまここ」の「ここ」は抜け落ちているけどそれでも「いま」を共有できているんだと実感できて、なんだか凄い嬉しかった。
質疑応答もあったので、うっかり手を挙げてお話してしまった。嬉しかったなー。
インターネットがここまで発達したのは、人の持つプリミティブな「つながりたい」という想いなんだなあと実感した場面でした。

日々刺激を受けています。メモしたいことが山ほど。

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