昨日の筆記試験で読んだ文章が面白かっ た。
人間の記憶には言葉にできる宣言記憶だけでなく、明文化できないけど身体的/行為として身についてる非宣言記憶とがある、という話。
台北の博物館で変 態的に細かい職人業を見てくらくらしたけど、あれは脈々と身体で受け継がれた非宣言記憶だったんだろうな。
思えばからだで覚える、実物や実作業をしつこく見て覚える、という経験がどんどん少なくなってきた。文字社会では圧倒的に宣言記憶が優位にあって、明文化された記録が身体での記憶を淘汰していく んだそうだ。確かにブログやTwitterでの記録を信頼し、実体験での記憶は対照的にどんどん忘れてきてる気がする。
YCAMキュレーターの阿部一直さんが、メディアアートとパフォーミングアーツを融合した展示についてお話してたけど、双方に共通するのは「体験できる芸術」だって事だ。超文字文化のネット社会におい て、薄くなった平面化したリアリティを取り戻すって文脈においてもこれらの分野の芸術が今アツいんだろうなと思った。
そういえば大学に入ってから、身体的な鍛練っての をしなくなったことに気が付いた。デッサンとか楽器の演奏とかはからだに染み付くものだけど、フォトショイラレ映像編集てマシンの中で仮想的にやるもの。 そろそろペラッペラの世界を脱して、身体の世界に戻ってきたいと思った。意識しなくても、自然に手が動く。以前は見えなかったものが、鍛え抜かれた眼力によって見えてくる。そういった、身体での経験、体験をこれからは大事にしていきたい。
ペラッペラの情報で頭でっかちにならな いように、「からだをつかう」のが今後の課題。情報社会において、情報で頭を満たしてることはきっと逆に優位性にならない。非宣言記憶を染み付か せ、特殊なからだ、不思議なからだになるのが目標。
演劇、音楽、料理、格闘技、スポーツ、ヨガ、ダンス、彫刻、絵画、登山、旅…
「からだをつかう」ものって本当にたくさんあるのに、なんでこれらのひとつも通らなかったのか自分でも不思議だ。身体的鍛錬をしていない、というコンプレックスも少なからずある気がする。からだ!からだ!からだを使うぞ!!
↑ついったーで延々とつぶやいたことをまとめてみた。
Good.
返信削除Thanks for finding;)
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